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戦後最大級と言われた台風が足早に東京の街を過ぎていった。
翌日は台風一過の青空が久し振りに広がっていた。
気温は10月とは思えないほど上昇し夏日を記録していた。

あたしはもっちーの家にその日の夕方から遊びに来ていたが、台風が関東地方を通過している頃には既に2人で布団の中に入り休んでいた。
窓に叩き付けるように降る雨と強い風は確かに怖かったが、二人で一緒にいることがあたしに安心感を与えていた。
多分それはもっちーも同じだったのだと思う。

望「なっちゃん、なっちゃん・・・」
桑「う・・・ん・・・・」
望「なっちゃんてば、起きて。ねえ、なっちゃん」
あたしはもっちーに肩を揺らされて目を覚ました。
目を覚ますまでは何か夢を見ていたようだったが、それがどんな夢だったのか定かではなかった。
ただ感覚的に不思議と怖い夢ではなかったことだけを記憶してていた。
きっともっちーと一緒だったから怖い夢や厭な夢を見なくて済んだのだ、そんなことをぼんやりと考えていた。

桑「あ、もっちー・・・」
望「おはよう、なっちゃん」
もっちーは既に目を覚ましていたらしく、狭いベッドに半身を起こしあたしを見つめていた。
桑「もっちー、起きてたんだ」
望「うん、さっき起きたんだよ」
桑「それなら一緒に起こしてくれれば良かったのに。寝顔を見てるなんてひどいよ」
あたしは寝顔を見られていた恥ずかしさから顔を背けると枕に埋めた。
望「だってー、折角なっちゃんの寝顔を見れるんだよ。勿体ないよ」
こういう時、もっちーは普通では恥ずかしい台詞を臆面もなく話してくれる。
あたしはそれが少し照れくさくもあり、そしてそれ以上に嬉しくもあった。
望「なっちゃんの寝顔、とっても綺麗で可愛かったの。わたしね、ずっと見とれちゃったんだよ」
そう言うともっちーはソバージュの掛かったあたしの横髪を白い細い手で掻き上げた。
もっちーの白くて小さな手があたしのうなじや耳に触れていた。
あたしは思わず声を洩らしたくなったが、もっちーに感じていることを気取られることが恥ずかしくて思わずその声を押し殺した。
あたしは顔を上げてもっちーの顔を見ることに躊躇いがあった。
それでも勇気を出して見上げてみるともっちーの瞳も心なしか潤んでいるようだった。

桑「も、もう朝なんだね。お、お天気はどうなったのかな」
あたしは上擦った声でもっちーに話し掛けた。
望「すっごい良いお天気だよ、なっちゃん」
あたしの上擦った声に気付いたのか答えるとくすっと含み笑いをした。
桑「そうなんだ」
望「ほらっ」
窓側で寝ていたもっちーは言うと直ぐにカーテンをさっと引いた。
桑「うわ、眩しい・・・」
あたしは日の光に一瞬目眩を覚えたがそれにも直ぐに慣れた。
慣れた目には今し方カーテンを引き寄せたもっちーの姿があったが、注がれている日の光に髪が透けているように見え、その姿はとても幻想的に思えた。
望「ふふふっ、それになっちゃん、もう朝って言うには遅い時間だよ」
もっちーが室内の時計を指すと時間はもう9時を回っていた。
桑「そうね、起きようかしら」
望「うん」
あたしはもっちーの隣に寄り添うように半身を起こすと顔を近づけた。
もっちーもあたしの動きに呼応するようにそっと顔を近づけてくる。
やがてお互いの髪が重なり合い、額と額がこつんとぶつかった。
あたしともっちーはカフェ達がするように二人で鼻を擦り合わせるとくすくすと笑った。
そしてあたしは今日一番であろう笑顔でもっちーに挨拶をした。
桑「おはよう、もっちー」
望「うん。おはよう、なっちゃん」
応えるようにもっちーがあたしに優しく微笑みかけた。

あたしがゆっくりとベッドから立ち上がる頃には既にもっちーは洋服に着替えるためにクローゼットの前に立っていた。
そして、相変わらずもっちーはあたしを見てはにこにこと笑っていた。
桑「ねえ、もっちー」
望「うん?」
桑「今朝はシャワー浴びないの?」
あたし達が一緒に寝た翌朝には決まってシャワーを浴びていた。
それは別々の時もあれば二人で一緒の時もあった。
あたしにはそれがもっちーの家での当然の行為のように思えていた。
望「え・・・なっちゃん、だって・・・」
着替えをしながらもっちーは恥ずかしげに続けた。
望「昨日、何も無かったから・・・」
桑「そ、そうよね・・・」
あたしは昨日は無かったもっちーとの情事を思い出して言葉を詰まらせた。
望「汗かいてないし、平気かなって。なっちゃんは気になるの?」
桑「あ、あたしも別に・・・」
望「お風呂勝手に使っても良いんだよ」
桑「要らない、要らないって。あたしも汗なんかかいてないし」
あたしは急いで手を横に振るジェスチャーをしながらもっちーに答えた。
望「そうなんだ、ねえ、着替えたら朝ご飯にする?」

すっかり着替え終わっているもっちーがあたしを促すように尋ねた。
桑「朝ご飯か・・・」
あたしは着替えながら第二の自宅であるもっちーの家のキッチンを思い浮かべた。
望「本当に今日は良いお天気だよねー」
もっちーは窓の外を見上げると誰に言うともなく話しを続けた。
望「あーあ、何処かゆっくりと静かな処に行きたいなー」
それは先日までのハードなスケジュールをこなしていたもっちーの素直な気持ちであろう。
その言葉につられるようにあたしはもっちーの見上げていた窓を見上げた。
お日様はさっきよりも少し昇っているように感じた。
桑「ねえ、もっちー」
わたしの頭のなかにあるアイディアが閃いた。
望「なぁに?なっちゃん」
桑「出かけようか」
望「何処に?」
あたしの突然の提案にもっちーは首を傾げた。
桑「ゆっくり出来て静かな場所」
望「え、何処に行くの?」
桑「公園なんてどうかな」
望「公園・・・近所の鉄棒のある処?」

あたしはそこがあたしともっちーが逆上がりをした公園のことだと思った。
桑「違うって。もっと大きな公園。立川の昭和記念公園とか」
もっちーは大きな目を見開くとあたしの方を見た。
望「昭和記念公園?行くいく。あ、でも混んでないかな」
桑「大丈夫でしょ。平日なんだし」
望「お昼とかはどうするの。今からだとお昼とかになっちゃうよね」
桑「大丈夫だって。もっちー、あたしがお弁当作るから」
望「わぁ、なっちゃん本当?」
桑「うん、その代わり作る時間とかあるから朝ご飯はパスね」
望「うん」
桑「ついでに朝ご飯のおかずも貰っちゃいましょ」
望「そうだね。お母さん何を作ってくれていたのかな」
もっちーは両手を胸の前で合わせると楽しそうに話した。
あたしは遅くなった着替えを終え、部屋を出るためにドアの前に立った。
桑「さぁ、料理しようか」
望「うん」
あたしの後を追うようにそっともっちーが近づいた。

桑「さーて、何を作ろうかしら」
あたしは調味料から皿小鉢の場所まで知っているもっちーのキッチンに立つと食材を物色するように周囲を見回した。
望「なっちゃん、何を作ってくれるのかな」
もっちーはテーブルにつくとお菓子やデザートを待つ子供のようにはしゃいでいた。
桑「ねえ、もっちーは何が食べたい?」
恋人同士、彼女が彼氏に話すようにあたしは甘くもっちーに尋ねてみた。
望「うーん、やっぱり卵焼き。それに、キャベツご飯」
桑「それ、あたしがもっちーに前に作ってあげてたやつじゃん」
望「うん、そうだね」
桑「何かさぁ、あたしそんなものしか作れないみたいに思わない?」
望「えー、そんなことないよ。なっちゃんお料理いっぱい作れるし、わたし、なっちゃんが作ってくれたものが一番美味しいと思うよ」
桑「そ、そうかなー」
そう言うともっちーはあたしの顔を真剣に見つめていた。
あたしはそのもっちーの真剣な眼差しに恥ずかしくなり、頬を紅らめると曖昧な返事しか出来なかった。
望「ねえ、なっちゃん。本当にどうするの。コンビニのお弁当にする?」
もっちーは右手にした腕時計を見ていた。多分時間を気にしているのだろう。
確かにコンビニのお惣菜やお弁当は手軽だし美味しいかもしれない。
それでもあたしはあたしの料理を『美味しい』と言ってくれるもっちーに何かを作ってあげたかった。
桑「やっぱ、簡単に作れるものかな。おにぎりとか唐揚げとか卵焼きとかかな」
望「おにぎり美味しいよね。ご飯にふりかけとか混ぜると味も変わるし、もっと美味しくなるよね」

それは、ふりかけやおかずが無いとご飯が食べられないあたしへのもっちーなりの配慮だろうか。
桑「そうね。それじゃ、ある程度目途が附いたから急いで作りましょう」
望「うん」
そう言うともっちーは席を立ち上がりあたしの横に並んだ。
桑「もっちー、あたしが作るから。座ってて」
休日くらいあたしよりも仕事が忙しいもっちーには無理をさせたくなく、あたしは席に附いてもらおうと思った。
望「ううん。いいの、なっちゃん。一緒に作ろう」
桑「でも、もっちー・・・」
望「だって、なっちゃん。独りで作るより二人で作った方が早くできるよ」
桑「そうだけど・・・」
望「それに・・・」
静かな口調で話していたもっちーはそこまで言うと黙ってしまい、またあたしを見つめた。
それに・・・なっちゃんとわたし、二人で一緒に作った方が想いがこもった分もっともっと美味しいと思うから・・・
桑「あ・・・」
そう思うとあたしの口からは短い言葉が漏れていた。もっちーはあたしと一緒に料理が作りたかったのだ。
きっと、その方がずっと美味しいに決まっている。
もっちーはあたしが発した短い言葉の意味が分かったのか、それ以降は俯くと黙々と料理を手伝ってくれた。
それから程なくしてあたし達二人の想いが詰まったお弁当は出来上がった。

桑「ところで、ねえ、もっちー」
あたしは出来たばかりのお弁当を包みながらもっちーに尋ねた。
望「うん?どうしたの、なっちゃん」
桑「公園までは、どうやって行くのかな?」
望「そうだね、電車か車だよね」
もっちーの自宅は新興住宅地にある所為か駅からは少し遠い場所にあった。
その為、電車を利用するには駅までバスを利用しなければならなかった。
桑「車か電車か・・・電車だと荷物がね・・・」
あたしはそう言うと包み終わったお弁当を見た。
あたしには荷物を持って公共の乗り物を移動することが不便で仕方なかった。
望「それなら車にしようよ。わたしが運転するよ」
そんなあたしの不満な顔色を見たのだろうか、もっちーは車を出すことを提案した。
桑「え・・・ぶ、ぶーぶーくん・・・」
あたしはもっちーの申入れが凄く嬉しかったのだが、もっちーの運転技術を考えると言葉を詰まらせてしまった。
望「どうしたの、なっちゃん。わたしの運転、上手だよね?」
あたしの不安な気持ちを察っしたのだろう、もっちーが念を押すように尋ねた。
桑「う、うん。上手だよ、もっちー。だ、だから宜しくね」
それまで曇っていたもっちーの顔が急に晴れたようだった。
望「うん。まかせてよ、なっちゃん」
そしてもっちーは小さくて可愛らしい胸を右手でぽーんと叩くと笑顔で答えた。
あたしはその時のもっちーの表情であることに気付いた。
それは、もっちーが車を出すと言った時、あたしが断ったら電車で行こうと言い直したであろうことを。

もっちーの曇っていた表情には、あたしがもっちーのことを信頼しているか心配や不安があったのだと思う。
あたしはそんなもっちーの気持ちを分かってあげることをしなかった。
もっちーはいっつもあたしのことを考えていてくれていたのに。
そう思うとあたしの胸がきゅっと痛んだ。
その頃、もっちーは出発の準備をしており、玄関先から声が聞こえた。
望「ねえ、なっちゃん。準備できたよ」
桑「あ、うん・・・」
あたしはその声に促されるようにキッチンからお弁当を持って玄関へと移動した。
そこにはすっかり準備を終えたもっちーがあたしの来るのを待っていた。
望「ほら、なっちゃん、どうしたの」
桑「あ、うん・・・靴・・・履くね」
あたしは中腰になると急いで靴に履き替えた。
望「はい、なっちゃん」
靴を履き終えたあたしにもっちーが手を差し出した。
それは、白くて小さくて可愛らしいもっちーの右手だった。
それでも日に照らされたもっちーのその手が、あたしにはいつもより大きく感じられた。
望「行こう、なっちゃん」
桑「うん。よろしくね、もっちー」
あたしはもっちーから差し出されたその手を離さないようにしっかりと握るのだった。

2人で作った大切なお弁当を持ってあたしはもっちーの車の助手席に乗った。
もっちーの愛車「ぶーぶーくん」は黄色の軽自動車でアルトという車名なのだという。
昭和記念公園までは平日ということもあり、車で1時間もかからなかった。
その道中でもっちーはお兄さんから貰ったというカーステレオの話とか、車を買った時の話をしてくれた。
車に興味の無いあたしにはもっちーの話自体にさほど興味は無かったが、運転をしながらそんなことを嬉しそうにあたしに話してくれるもっちーの横顔を見ているだけで幸せだった。
昭和記念公園の立川口に近い駐車場に車を停めたあたしともっちーはそれぞれに入園料を払い園内に進んだ。
桑「ねえ、もっちー。貸し自転車があるけど、どうする?」
ゲート近くにあるレンタルサイクルの看板を見たあたしはもっちーに聞いてみた。
望「うーん、どうしようかな・・・自転車だと楽だけど、なっちゃんと一緒に並んでお話しできないしな・・・」
桑「そ、そうね」
望「それに、サイクリングコースより歩道の方が景色が綺麗だもんね」
桑「分かったわ、それじゃもっちー、歩いて行きましょ」
あたしはそう言うと右手に持っていたお弁当の包みを持ち替えた。
望「あ、なっちゃん、重いよね。ごめんね、わたしが代わろうか?」
桑「いいよ、大丈夫だから。平気、へいき」

確かに女の子2人分のお弁当は抱えると言うには大袈裟なものであり、それはどちらかと言えば小さいものだと思った。
それでもあたしがお弁当を重たそうに持っているともっちーが見たとすれば、それは不健康な生活と運動不足によってあたしの腕の筋肉が無い所為なのだろう。
望「なっちゃん、本当に大丈夫?」
桑「大丈夫だから、心配しないで、もっちー」
望「うん」
2人で銀杏並木の下を歩いて公園の内に向かったが、まだ銀杏の葉は黄色くなっていなかった。
ただ、足下に落ちていた銀杏の実が独特の匂いを生じさせ、深まりつつある秋を感じさせていた。
望「なっちゃん、噴水って幻想的で綺麗だよね」
カナールにある大小5つの噴水を見てもっちーは溜息混じりに呟いた。
桑「そうね、こうやって水の調べを聴いていると、心が洗われるようよね」
そう言うとあたしは隣を歩いていたもっちーの肩にそっと頭を預けた。
望「なっちゃん・・・どうしたの?」
桑「ごめんね、なんでもないの。ただね、もう少しこのままでいさせて・・・」
望「うん・・・」
少し離れたふれあい広場から子供達の声が聞こえていた。
あたしともっちーはカナールにある一番大きな噴水の前に立ち止まると、肩を寄せ合い暫くの間その水の流れを眺めた。

暫くは時間が経つのを忘れたあたし達だっが、歩みを進め噴水の脇を抜けるた。
そこは一面を芝に覆われたふれあい広場となっており、カナールで聞こえた声はやはり両親と遊ぶ子供達の声だった。
多くの子供達は手に手に遊具を持ちそれぞれの遊びに興じていた。
横を歩いているもっちーの顔をのぞき込むと輝くような眼差しでその光景を眺めていた。
桑「もっちー、何だか嬉しそうね」
望「うん。子供達の楽しそうな姿って、見てるとこっちも楽しい気持ちになれるよね。なっちゃんもそう思うでしょ」
もっちーは子供達から視線を外そうとはせずにそう言った。
桑「あ、うん。そうね、端で見ているこっちも微笑ましく思えるわね」
子供のことはあまり好きではないあたしだったが、もっちーの言葉には素直に頷いた。
その時、あたしはもっちーに似た子供と自分が遊んでいる姿を想像していた。
その子供はもっちーが本当に小さくなったのかもしないし、あたしが生んだもっちーの子供だったのかもしれなかった。
隣にいるもっちーが急に子供になったり女の子のあたしが女の子であるもっちーの子供を産むという世界、あたしにだってそれが絶対あり得ないことなのだと分っていた。
それでもあたしはそんな白昼夢を見ることが出来たのが嬉しくて仕方がなかった。
あたしは自分達が子供達が無邪気に遊ぶ姿に見とれていて歩くのを止めていることに気付いた。
望「ねえ、なっちゃん」
今まで子供達を見ていたもっちーがあたしの方を見た。
桑「どうしたの、もっちー」
もっちーは俯くと少し小さな声で話した。
望「えへへっ、あのね、わたし、あの子供達を見てて思ったの。なっちゃんの子供だったらすっごく可愛いんだろうなって」
桑「ふふふふふっ」
望「あれ?どうしたのなっちゃん。わたし、変なこと言ったかな?」
桑「ううん、違うの、違うのよもっちー。嬉しかったの、もっちーがあたしと一緒だったから」
望「え?何が一緒だったの、なっちゃん」
もっちーはあたしの言っている意味が分らないはずで、きょとんと不思議そうな顔をしていた。

桑「ねえ、行こうか、もっちー、お昼になっちゃうよ」
あたしはもっちーの手を握りると再び歩き始めた。
望「あ、う、うん」
もっちーもあたしの手を握り返した。
望「ねえ、なっちゃんてば、何が一緒なの?」
桑「いいの、もっちーは知らなくても」
望「えー、なっちゃんばっかり、狡いよ」
もっちーはふてくされると歩くのを止めてしまった。
桑「もっちー、歩こうよ」
望「嫌い。なっちゃん、教えてくれないんだもん」
桑「分かったわ。教えてあげるから」
あたしは向きを変えてもっちーの前に立つと顔を近づけた。
桑「いい、もっちー、それはね」
望「うん・・・」
そう言ってもっちーはごくっと息をのんだ。
桑「ひ・み・つ」
あたしはそれだけ言うともっちーの鼻先に軽くキスをした。
望「きゃっ・・・もう、なっちゃんったら、すぐに誤魔化すんだから」
桑「でももっちー、あたしにキスしてもらえたんだし、嬉しいでしょ」
望「なっちゃん、話をすり替えてるよ」
桑「もう、そんなことばっか言うと、何もしてあげないから」
望「えー・・・」
桑「だから、ね、早く行こう」
望「うん」
もっちーは少し凹んでしまったように言葉が少なくなってしまった。
それでもあたしがさっき心に想ったことは、もっちーに言わなくてもいいと感じていた。
それは、あたし達の思いが同じなのだから言う必要もないことだからだ。
あたしは温かい想いを胸にしまうと温かい手に繋がれてふれあい橋へ向かった。

なだらかな傾斜になっているふれあい橋を歩いているとあたし達の隣をパークトレインが走っていった。
パークトレインは園内を周遊するバスで1回の乗車につき300円なのだという。
平日ということもあり、乗客は数える程だった。
目ざとくもっちーがそれを見つけてあたしに話しかけた。
望「ねえ、なっちゃん。今度はあれに乗ってみようよ」
桑「そうだね、何かバスの格好が面白いし、楽しそうだよね」
望「うん。絶対乗ったら楽しいよ。荷物があっても苦にならないよ、きっと」
もっちーはさっきのカナールでのことを気にしていたのかもしれない。
桑「うん。今度はそうしようね」
でも・・・あたしは思った。
桑「でもね、もっちー、やっぱり一緒にいた時間が少しでも長い方がいいと思うの。だから、ね、歩こうよ」
もっちーは少し呆気に取られているようだった。それでも直ぐにあたしの言ったことを理解くれたのだろう。
望「うん」
あたしの顔を見てそう大きく頷くと微笑んだ。

それから数分歩いたのだろうか、あたし達は水鳥の池に出た。
歩きながら水面を眺めているあたし達の眼前を数羽の鴨が泳いでいた。
望「ねえ、なっちゃん。見てみて。鴨だよ、鴨。可愛いよね」
もっちーの動物好きは今に始まったことではないのはあたしも知ってはいるのだが、やはり嬉しいのだろう、水辺の鴨に話しかけるようにしている。
望「この鴨さんは家族なのかな?それとも恋人同士なのかな」
当の鴨はもっちーの話をまるで聞いておらず、ゆっくりと池の奥へと泳いでいってしまった。
望「あーあ、行っちゃった」
本当に残念そうにもっちーが言う。

桑「残念だったね、もっちー」
望「そうだね。ねえ、なっちゃん、あの鴨、何て鴨なんだろうね」
桑「はあ?鴨の種類のこと?」
もっちーはあの鴨が余程気に入ったらしいが、金魚すらまともに飼育できないあたしが鴨の名前を知る由もない。
桑「うーん、マガモとかカルガモなんじゃないかな。よく名前とか聞くじゃん」
望「あ、うん、多分そうだよ。なっちゃんすっごーい、ありがとう」
桑「あ、いや、別に大した事じゃないって」
あたしも適当に答えてしまった所為か、もっちーにそこまで言われてしまうと少し気が引けてしまう。
桑「それよりも、ねえ、もっちー、見て」
望「なにを?なっちゃん」
桑「池の水面。きらきら輝いているようだよね」
あたしはそう言うと日の光を反射している水面を指差した。
望「うん。綺麗だね」
もっちーもあたしの指の先にある水面を眺めた。
望「ボートに乗ればもっときらきらが近くで見えるかな」
確かに池の西側にはボートハウスがあった。だが、ボートに乗る、それは腕の筋力のないあたし達にとっては大きな問題に思えた。
桑「まあ、もっちー、いつでも来れるんだから。次にしようよ」
望「そうだね、なっちゃんがそう言うんなら・・・」
桑「それに、あたしお腹が空いちゃった」
態とらしかったかもしれないが、あたしはもっちーにそう言うとみんなの広場へと足を向けた。
それでも少しの間もっちーは後ろ髪を引かれるような面持ちで池を眺めていた。
もう少し暖かな季節になったらもっちーと一緒にボートに乗れるようになりたい。
あたしはそう思うと水鳥の池を後にした。

それからあたし達はハーブ園を通り、落葉樹の間を抜けてみんなの広場に向かった。
歩く道は、落葉樹の葉が幾重にも重なり絨毯のようであり、また木漏れ日があたし達を優しく包んでいるようだった。
そこはふれあい広場とは異なりあたし達だけしかいない静かな空間だった。
絨毯の上を歩くあたし達の足音だけが辺りに響いていた。
その音を楽しむようにして歩くとやがてあたし達の前の視界が開けた。
望「やっと着いたね」
桑「うわ、ひっろーい」
望「気持ちいいねー」
あたし達は広場の南端の場所に立っており、広場を見回すと白いものが目に入ってきた。
桑「あ、あれ?あれって何だろう?」
望「え?どれどれ?」
もっちーがあたしの言葉につられて広場を見回す。あたしはもっちーが分るようにと人差し指を差し出した。
桑「あれよ、あれ」
原っぱの北東側、その指先にあるものをもっちーは凝視した。
望「あ・・・」
桑「花・・・だよね?」
望「近寄ってみようよ」
そう言うともっちーは駆け出していった。
桑「あ、待ってよ、もっちー」
望「なっちゃん、早く、はやく」
あたしはもっちーの後を追った。
もっちーは一足先に白い花が咲いている場所に着いており、あたしが来るのを見図るように話し始めた。

望「なっちゃん、見て。コスモスだよ、コスモス」
あたし達が見ていたのは色とりどりに咲くコスモス畑だったのだ。
そのなかでもセンセーションホワイトやベルサイユホワイトだろうか、白い花が極まっていた。
桑「昨日の台風にも負けないで咲いているんだね」
望「うん。綺麗・・・」
背丈が伸びていたコスモス達は昨夜の台風で根本から倒されていたが、それでも可憐な花を空に向かって咲かせていた。
桑「あ、もっちー、ちょっといい?」
あたしは足元から折れたコスモスの花を一輪摘むともっちーの髪に挿した。
望「なっちゃん?」
桑「このコスモスの花、茎から折れちゃってるし、このままだと直ぐみんなに踏まれちゃうでしょ」
望「うん」
桑「折角咲いたのに誰にも見られないで踏まれて枯れちゃうなんて、そんなの可哀相じゃない」
望「・・・」
桑「だから、せめてあたし達ぐらいが見てあげないとね」
望「そうだよね。一生懸命咲いてるんだもんね」
もっちーはあたしが挿したコスモスに手を触れて髪との位置を直していた。
望「えへへ、なっちゃん、似合ってるかな?」
桑「うん。とっても可愛いわ、もっちー」
望「素敵なプレゼントをありがとう、なっちゃん」
そう言うともっちーはコスモス畑を見つめていた。
あたしももっちーと同じようにコスモスを眺めた。
花に白やピンクの色を付けたコスモス達は、風に吹かれると静かにその花を揺らしているのだった。

もっちーは揺れるコスモスの花を見ながらあたしに話した。
望「あのね、なっちゃん。笑わないで、聞いてくれるかな」
桑「どうしたの、もっちー。急に改まっちゃって」
あたしもコスモスを見ながらもっちーの話を促す。
望「わたしね、夢だったの」
桑「『ゆめ』・・・?」
望「うん・・・大好きな人と結婚式をする夢」
桑「・・・」
望「大好きな人とね、花に囲まれた高原の小さなチャペルで結婚式を挙げるの」
桑「・・・」
望「千恵や兄ちゃんやみんなから『久代おめでとう。良かったね』ってお祝いしてもらうの」
桑「・・・」
望「ずっとずっと小さい頃から見ていた夢なんだよ。いつかそんな日が来れば良いなーって」
あたしはもっちーの話を静かに聴くことにしていた。
望「だからね、今日、このコスモスを見ていたらそんなこと思い出しちゃったの」
もっちーはそう言ってあたしの方をちらっと見ると視線をコスモス畑に移した。
桑「・・・すれば良いじゃない」
あたしは思わず口に出してしまった。
望「・・・え?」
桑「すれば良いじゃない、結婚式」
望「む、無理だよ、なっちゃん・・・」
桑「あたし達だけだけどさ、やろうよ結婚式」
望「ほ、本当なの?なっちゃん」
桑「もっちーが嫌なら無理にはしないけど」
望「待って、なっちゃん。わたしも・・・わたしも、なっちゃんがそれで良いなら・・・」

あたしともっちーはお互いの意志を確認し合うとコスモス畑の奥に進んだ。
桑「ここなら他のお客さんにも迷惑じゃないよね」
望「う、うん・・・」
それでももっちーは今から何が始まるのか不安げな様子だった。
桑「始めましょうか、もっちー」
望「・・・」
黙ってもっちーはこくりと頷いた。
桑「あたくし、桑谷夏子は望月久代を生涯愛することを誓います」
望「・・・・・・」
もっちーはそう言ったばかりのあたしの顔を信じられないような顔で見ていた。
桑「ほら、もっちー、続きは?」
望「わ、わたし、望月久代は桑谷夏子を生涯愛することを誓います・・・」
桑「もっちー・・・」
その結婚式は牧師もいなければ結婚指輪もない子供の遊びのようなものだった。
勿論、祝福してくれる家族の同席もなければ親しい友人達の列席もなかった。
それでも今のあたし達にはそれで十分であり、幸せだった。
望「なっちゃん、あ、ありがとう・・・わたし・・・すっごい嬉しい」
もっちーの瞳から大粒の涙が零れる。
桑「あたしもそうだよ・・・」
あたしはもっちーの瞳から目を逸らさずにいた。
桑「ねえ、もっちー、キスしようか」
望「え・・・」
奥まった場所とはいえ周囲に入園者がいるので流石にもっちーも躊躇したのだろう。
桑「良いじゃない、見せつけてあげましょうよ」
望「う、うん・・・」
桑「それに、誓いのキスをしなければ結婚式だって終わらないでしょ」
望「うん」
もっちーは静かに目を閉じると、そっとわたしの顔に唇を寄せてきた。
あたしはもっちーの頬に手を添え唇を重ね合わせた。

それからどの位の時間が経ったのだろうか。
あたし達が唇を触れ合わせていた時間は、ほんの一瞬だったのかもしれない。
それでもあたしには永遠に続く時間のように思えて仕方がなかった。

遠くであたし達を指差し何かを揶揄する声が聞こえていた。
でもそんなことは今のあたし達には関係のないことだった。

もっちーが右手をあたしの左手に絡ませてにっこりと笑う。
あたしは絡んだ手を離さないようにしっかりと握り直した。

桑「さあ、行きましょ、もっちー」
望「うん。いつまでも一緒だよ、なっちゃん」

あたし達は手を繋いだままコスモス畑の細い道を歩いていた。

色とりどりのコスモスの花があたし達を祝福するフラワーシャワーのように風に揺れていた。

コスモスの花は絶えることなく、いつまでも、いつまでも静かに揺れていた。