リビングに西日が差す午後5時、俺はバイトを終えソファーに寝ころんでいた。
今時珍しいが、俺の家には何故かクーラーが無い。
そんな家で一番風通しの良い場所になっているのがリビングだ。
たとえ西日が当たっていても天然の風に勝るものはない。
俺はソファーに深く身体を埋めバイトの疲れを癒そうとしていた。
きぃ・・・ばたん・・・
俺の頭の方で金属の擦れる音がした。
俺は微睡みの中で聞き覚えのある音を思い出そうとしていた。
「あの音は確か・・・」
こつ、こつ、こつ、こつ・・・
続けざまにリズム良く足音らしきものが聞こえてきた。
「足音・・・そうか、誰か帰ってきたのかな」
俺はさっきの金属音が玄関を開けた音だと認識した。
そして誰が帰ってきたのかも直ぐに予想が付いた。
小気味よい歩き方、それはその人物の性格を良く表している。
歩き方と同じテンポの話し方、そんな手合いの俺の家族は・・・
「ちょっと、あんた、何時まで寝てるのよ?」
姉貴だ・・・姉貴の夏子が仕事(だろう)から帰ってきた。
黙っていれば弟の俺から見ても可愛らしい部類に入るのだが、口が悪い。
可哀想に、もてないだろう。「口は災いの元」という諺を教えてやりたいものだ。
「学校は?それともバイトはどうしたの?」
そんな姉貴思いの俺に対して、姉貴は構わず質問を浴びせてくる。
姉貴と俺はそんなに歳は違わないが、姉貴が社会人の所為か、やたらと俺に口うるさい。
(まるで年上の世話焼き女房のようだ)
(世話焼き女房?・・・女房・・・)
ふっ、俺は自分のことながら内心で笑っていた。
(姉貴が女房だって、冗談じゃない、姉弟だろ。それに2人とも独身なんだ、夫婦のことなんか分かるわけがない)
俺はそう思うと重たい体をソファーから持ち上げ姉貴を見上げた。
ただ、その時俺は、何時もと違う心に何か違和感を感じていた。だが、それが何なのか、俺には未だ分からなかった。
「っせーなー、俺だってさっきバイトから帰ってきたところだよ」
俺は姉貴に少しでも対向するように毒をはいてみる。
「五月蠅いとは何よ。美しい夏子お姉さまが帰ってきてあげたのよ。お帰りなさいぐらい言いなさい」
姉貴は口から生まれてきたのか全く怯まない。それよりも毒舌のペースが上がっているようだ。
俺は敵うはずもない敵(姉貴)に口喧嘩を売ってしまったのか。静寂を最も尊ぶこの俺が。
俺は早くも「後悔」という2文字を頭に浮かべていた。だが、姉貴の口撃は更に続く。
「ほら、早く。『お帰りなさい、お姉さま』っておっしゃい。それが嫌なら、『お仕事ご苦労様でした、夏子姫』でも良くてよ」
(・・・この人種(姉貴)は何を考えているのだろうか)
一瞬、弟の俺でさえ頭を抱えてしまいそうな台詞を姉貴は素面で喋る。
しかし、不毛な争いをしていても俺の貴重な時間が過ぎてゆくばかりだ。ここは弟の俺がひとつ大人にならないと。
「・・・お、お帰り、なっちゃん」
姉貴が少し不思議そうな顔をした。まるで拍子抜けしたようだ。少し間抜けた虚ろな瞳で俺を見る。
(姉貴、こんな表情も見せるんだ・・・)
何時も勝ち気な姉貴しか知らない俺は、不覚にも姉貴の初めて見せた表情に見入ってしまった。
「ま、まあ、仕方ないわね。あんたは礼儀を知らないお子様だからね。はい、ただいま」
いつもの姉貴だ。むかつくぐらいいつもの姉貴だ。それにしても、大きな子供がいると家族は苦労する。問題は当の本人が自覚してないことだ。
(父よ、そして母よ、あんたらは偉いよ。こんな娘(姉貴)を育てる気になったんだからな。俺にはきっと無理だ)
俺は決して言葉にしてはいけないことを胸に浮かべていた。
(・・・こんなこと言ったら絶対、姉貴に殺される・・・・・・)
「どうしたの?」
惚けていた俺に姉貴が声をかける。姉貴は俺のさっきの台詞で満足したんだろう、声が少し軽い気がした。
「いや、何でもない」
思考が未だ戻らない俺をよそに姉貴は俺の前を横切ると、俺の寝ていた(そして今も座っている)ソファーの前で立ち止まった。
「・・・」
無言のまま俺は訝しげに姉貴を見る。
「そこ、空いてるんでしょ?座っても良い?」
リビングには椅子もあれば別のソファーだってある。何が嬉しくて姉弟が同じソファーに腰掛けねばならなんのだ。
「俺が、退こうか?」
俺、大人の態度だ。気分屋の姉貴にあわせてやることにした。
「あ、ううん。退かなくったって良いの。ちょっと、座ってみたかっただけだから」
そう言うと姉貴はソファーの端にちょこんと腰を下ろした。そこは窓に近いところで西日が姉貴を照らしていた。
逆光のなか、姉貴の白い顔がオレンジ色に輝いて見えた。そして対照的に鼻先や睫毛から薄く、そして細く伸びる影。
(綺麗・・・かもしれない・・・・・・)
俺は咄嗟の感情に戸惑いを覚えた。
(姉貴のこと、綺麗だなんて・・・)
姉貴は座ったまま何も語らない。俺には沈黙が息苦しくて仕方がなかった。
「さっきの勢いは何だったんだよ、姉貴。随分しおらしいじゃんかよ」
「あのねぇ、これが普段の『あ・た・く・し』なの。分かる?」
普段の姉貴の答えに俺は少し安心した。そして、姉貴が見ている方へと視線を移すとそこにはカレンダーがあった。
日付を確認する。今日は、8月8日の木曜日だ。カレンダーの余白には「父・母外出」の文字と「夏子仕事」と書かれていた。
そして、その後に小さく可愛らしい文字で書き足されている言葉があった。それは、「夏子、お誕生日」と。
(そうか、今日は姉貴の誕生日か・・・失敗したな・・・・・・)
いつもは憎まれ口をきく姉貴だが、たった1人の俺の姉貴だ。祝わない方がおかしい。
(何で気付かなかったのかな、俺。最低だな・・・)
自分の愚かさを反省しつつも俺は姉貴に話しかけた。
「なっちゃん、今日はお誕生日だったんだろ?」
「えっ?」
姉貴が目を丸くきょとんとした顔で俺を見た。
(これ、結構可愛いかも・・・)
俺は不覚にもまた姉貴に見とれていた。変だぞ、俺。未だ寝惚けてるのか?
「あ、うん、そうなの。ありがとう」
姉貴が今度は俯いて少しはにかんでいる。無意識のうちに姉貴の肩に手が伸びてしまいそうになる。
(や、やばい・・・人として、これはやばい。人倫に悖る・・・・・・)
俺は自分の理解し難い行動を抑えるためにわざと姉貴に質問した。
「なっちゃん、今日は仕事だったんだろ?シス・プリの関係?」
「うん、そうよ」
「なら望月さんや水樹さんは一緒じゃなかったのか?」
「一緒だったけど」
「仕事が終わった後に打ち上げとかないのか?お誕生日会とかさ」
「・・・」
姉貴、暫し沈黙。
(俺、やっちまったよ。これって、姉貴にとって地雷だったのか?)
自問自答する俺。だが、当然のように答えは導き出されない。
「あ、あのさぁ、なっちゃん・・・」
何をフォローに入れて良いやら分からずに話しかけてみる。
「もっちーも奈々ちゃんも由美子ちゃんもみーんなお仕事だから・・・」
姉貴が口を開いた。一言ひとこと自分で確認するように話す。
「だから、今日はお祝いはなし。以上」
姉貴は言い終わるとうんうんと自分で頷いてみせた。
(姉貴、俺には姉貴が切なすぎるよ・・・)
また普段の俺とは違う感情が俺の胸中を過ぎった。
「なあ、なっちゃん・・・」
俺は戸惑いのなか姉貴に話しかけた。
「どうしたの」
「この後、暇だろ?」
「暇?暇じゃないわよ。お母さんの代わりにあんたに夕食の世話しなきゃいけないんだから。まったく」
「いや、その食事のことなんだけどさぁ」
「何よ?あたしの手料理は不満だってこと?」
「そうじゃなくって、なっちゃんが良ければ、その、外食しないかな・・・って」
俺、生まれて20数年、一番頑張ってみた。だから俺自身を誉めてやりたい。恥ずかしいのに良くやったって。
「あたしが?あんたと?2人っきりで?」
「どうかな?駄目かな?」
一瞬の静寂。だが、それは姉貴自身によって脆くも崩れ去った。
「あんたが?あたしを?エスコートするの?あははははっ」
・・・爆笑。失礼な社会人(姉貴)だ。俺が好意で言ってることを笑って返しやがる。
「俺が誘ったらそんなに可笑しいかな」
マジに尋ねる俺。姉貴の真意が知りたい。
「あ、ごめん。ごめんなさい。別に馬鹿にしてるわけじゃないから」
姉貴は笑いを抑えながら苦しそうに答えた。しかもむせながら。
(その態度が俺を馬鹿にしてるんだよ・・・)
俺は姉貴に馬鹿にされたと思い声を荒げた。
「それなら、どうして・・・」
そこまで言うと不意に姉貴の顔から笑みが消えた。
(どうしたんだ?)
俺の目を姉貴がじっと見つめる。俺は目線をそらそうにもそらせられない。
それよりも逆に吸い込まれていきそうだ。姉貴の瞳に・・・
「あんたも大人になったんだね。あたしに気を遣ってくれるなんて」
(へっ・・・)
「笑ったのは悪かった。ごめんね。でも、嬉しかったんだ、本当だよ」
姉貴は俺にちょっと見上げるような視線で話した。その姉貴の笑顔が夕日に映えて一層眩しく見える。
俺はそんな姉貴の顔をただ見ているだけだった。いや、見つめていた。
(俺、姉貴に囚われるかもしれない・・・)
そんな背徳的な気持ちが俺の胸中で鎌首を擡げた。
「それじゃ、なっちゃん。何処に行こうか」
俺はあくまでも平静を装うため姉貴のリクエストを聞くことにした。
「はぁ?あんた、女の子をエスコートするのに何も準備してないの?」
毒舌復活。しかも見つめ合う距離からの一撃。俺、とっても挫けそう。
「あんたねぇ、そんなことだから彼女だってできないのよ」
彼氏のいない女(姉貴)に言われる筋合いはない。だが事実は事実。反論もできない。
「うるせーな、誘ってやんないぞ」
俺は悔し紛れの言葉を吐く。
「・・・」
姉貴、無言。また地雷?それとも核爆?またまた失言なのか、俺。
折角姉貴の誕生日をお祝いしようとしていた俺の素直な心は何処に行ったのだ。
「な、なぁ、なっちゃん。あのさ、言葉には綾ってものがあるし・・・」
俺は取り繕うように言葉を繋いだ。その瞬間だ。
「あんたねー・・・」
地の底から這い上がるような低い重々しい声が姉貴から聞こえてくる。
(な、なんですか?)
俺は予期せぬ事態に躊躇した。
「男が一度約束したんだから、そんな一言二言言われたぐらいで、反古にするなんて、女々しいこと言わないのよっ!」
あ、姉貴、マジ切れだ。ブラック夏子降臨。しかも仲介してくれそうな両親もいない。俺、すっごくぴーんち。
「だ、だからそれは、言葉の綾だって・・・」
誘ってやったのは俺、なのに謝ってるのも俺、何か理不尽。でも謝るしかない。
「俺、本当に知らないんだって、なっちゃん達が行きそうな洒落た店って。仕方ないだろ」
仕方なく正直モードで話す俺。まあ、ぶっちゃっけ、俺が店を知らないのも事実だ。
「あんた、普段友達と何処で飲んでるの?」
姉貴の質問が普通のものに戻った。姉貴からブラック解脱か。
「学校とかバイト先の近くの居酒屋かな。近いし、それに安いしな」
姉貴が納得したような、それでいて哀れんだような顔で俺を見た。
(し、仕方ないだろ、事実なんだから。お前(姉貴)は貧乏学生に何を求めるんだよ)
「・・・」
今度は俺が凹んで無口になる。しかし、これを言ったところで更に俺が惨めになるだけだ。
「もう、本当に仕方ないんだから。やっぱり子供ね」
姉貴は頬に手を添えると口元に笑みを含ませて言う。
(うをっ、女らしい仕草だぜ、姉貴)
俺はさっきまでの怒りや惨めさを何処かに置き忘れてしまったようだ。
「何処だって良いのよ。あんたの知ってるお店で良いから、そこにしましょ」
(姉貴の駄目押し。またまた女の子らしい台詞、嗚呼、何だか彼女に言われてるみたいだよ)
俺、ちょっと、いや、すっごい幸せな気分。ちっちゃい姉貴(毒舌でも−それが魅力のひとつだから−)最高ー!!
(・・・アホか、俺。姉貴に萌えてどうするよ。もしかして俺、シスコンってやつですか?しかもM属性?)
葛藤する俺。そして自己嫌悪。でも決して俺は認めない。シスコンじゃない。単なる姉貴思いの良い弟だ。そう自分に言い聞かせる。
(でも、姉貴に言葉責め・・・うーん、それはそれでちょっと捨て難いかな・・・)
緩む口元。はっ、いかんいかん、俺はノーマルなんだ、ノーマル。俺は当然の如くもう一方の性癖も否定した。
「どうしたの?」
妄想モードばく進中の俺を姉貴が不思議そうに眺める。拙い、今までどおり真面目になれ、俺。
「い、いや、何でもないって。それじゃ、何時にここを出ようか」
セーフ。辛うじて立ち直る。だが口の中が異常に乾く。声が上擦りそうだ。
「行くって言っても、どうせファミレスか居酒屋でしょ」
普段ならカチンとくる台詞も今日の俺には何にも感じない。あろうことかその言葉の遣り取りも幸せに感じてくる。
「そうだけど」
気の利いた台詞を言えない俺。お互いボキャブラリーが少ないのはやはり姉弟だからだろうか。複雑、でも何故か嬉しい。
(何が嬉しいって、姉弟を実感できることだよ)
俺は自分にまた言い聞かせた。まるで自分の心に気付かないようにするために。
「それなら時間に余裕あるよね、あたし、汗かいちゃったからシャワー浴びたいんだけど」
そう言うなり姉貴は俺の横でワンピースの胸元の部分を摘んで鼻先へと近づけた。
(うっ、見えるかもしれない・・・)
邪な思いを浮かべる俺。自然と視線が胸元に寄ってしまう。しかし、姉貴は胸元から手を放すと目線を俺に向けた。
(やばい、見ようとしたのがバレたか?これは姉弟でも恥ずかしいぞ。また怒られっかな?)
心臓ドキドキなのに意外と冷静な思考。もしかして俺って大物?などと関係ないことばかりが頭に浮かぶ。
「・・・」
にやり。姉貴は不適な笑みを漏らすと立ち上がり自室へと向かって行った。
(良かった、バレてない・・・多分・・・・・・)
はあ・・・安堵感から溜息が漏れる。そして俺はリビングを出ていく姉貴の後ろ姿を目で追っていた。
(今日の俺、何かおかしいな。姉貴も少し様子が変だけど・・・)
俺は漠然とした思考のなかでそう強く考えていた。
くるっ。その矢先、急に姉貴が振り返った。
(何だ?この部屋に忘れ物か?)
俺は普通に疑問を感じてみた。
「さっきは見たかったの?でも、駄目。お預けよ」
(うわっ、バレてる、バレてるよ。俺の人間性が、20数余年築き上げた社会性が・・・)
「なっ、違うって、あ、あれは・・・」
俺は必死に言い訳を試みようとした。だが、
「・・・」
にやり。姉貴は再度不適な笑みを漏らし自室へと消えていった。
「・・・・・・」
俺、茫然自失。しかも桑谷姉弟のカースト制度確定。頂点が姉貴、底辺が俺。何か反論しようものなら、
「あたしの胸を覗こうとした変態」
なーんて言われそう。しかも親や友人の前で公然と。はぁ・・・また溜息が漏れる。
(俺の立場って、ますます弱くなるよな・・・)
(ん?待て、ちょっと待てよ。さっきの姉貴の台詞、思い出せ)
俺は姉貴が去り際に残していった台詞を思い浮かべた。
「『おあづけよ・・・』だったよな」
大分恥ずかしいが小声に出してみた。そして繰り返す。
「『おあづけ』・・・」
(あ、姉貴、「おあづけ」ってどういう意味なんですか?な、何かあるんですか?姉貴、いや夏子様、いいえ夏子姫、「おあづけ」って教えて下さい!)
妄想したいが事態の大きさに思考が付いていかない。でも、これだけは判明、落ちたな、俺。シスコン決定。もう面倒臭いから素直に認める。
「でもさ、俺達、姉弟だろ。それは拙いって・・・」
俺は誰に言うわけでもなく独り呟いた。
(いや、マジで、洒落にならないって・・・)
俺の人生の苦悩は今から始まったばかりのようだ。
遠くで水の流れる音がする。姉貴がシャワーを浴びているからだ。
(・・・お父様、お母様、今まで育てていただき、ありがとうございました。今まで何不自由なく過ごしてきました自分ですが、親不孝をお許し下さい・・・・・・)
俺はまたソファーに身を沈めていた。そして取り留めもない思考を巡らせていた。
「はあ・・・だってさ、仕方ないだろ。姉弟でも気になるんだからっ!」
何かに抗するように俺はそう自分に言い聞かせていた。
(世間の常識か・・・)
確かに俺は世間的に言えば禁忌を犯そうとしている。実の姉を好きになってしまったのだから。
「でもさあ、正直、俺の所為ばかりじゃないんだぜ。姉貴だって・・・」
俺は風呂場の方を一瞥すると天井を見上げた。そして姉貴が風呂に入るまでのことを回想した。
部屋に戻った姉貴は以外に早く出てきた。胸元にはバスタオルらしきものを抱えていた。そんな姉貴に俺は声をかけた。
「なあ、なっちゃん、風呂に入っても良いから早くしてくれよ。店が混んでから行くの嫌だからな」
「分かってるわよ。でもね、男のくせにそんな焦るもんじゃないわよ」
やっぱり姉貴に軽くいなされる。
「焦ってなんかいないよ」
「そうかしら?」
一枚も二枚も相手(姉貴)が上手。その時実は焦りまくりだった俺。
姉貴はそんな俺の気持ちに構うことなく風呂場へと向かっていた。そして、俺は何気にそれを目で追っていた。
ぱさっ。姉貴の足下の方から微かな音がした。
(何だ?何の音だ?)
俺は座っていたソファーで前屈みになると姉貴の足元の方を凝視した。
(何か落としてやがるな、姉貴の奴。小さいようだけど何だ?フェイスタオルかな?)
当の本人(姉貴)はまるで気付いていないご様子。そそっかしい姉貴の一面が伺われる。
(弟の俺が面倒を見てやらねば・・・)
そう思う。無論、家族愛。疚しくないので念のため。
だが俺だって拾ってやるのは面倒。そこで姉貴に声をかけてやることにした。
「なっちゃん、何か落としたぞ。拾わなくて良いのか?」
風呂場の戸に手を掛けていた姉貴がこちらを振り返る。そして視線は足元の方へ。
「あら、下着が落ちちゃったのね。拾ってくれても良かったんだけど、教えてくれてありがとう」
そう言うと姉貴はそれ(下着)をひょいと取って風呂場へと消えていった。
姉貴に少なくとも動じた気配や恥ずかしがる様子は見られなかった。
「下着?あんな小さいのが下着?下着ってブラとかパ・・・」
反対にそこまで言って口籠もってしまう俺。当然ながら俺のトランクスなんかとは大違い。
(下着か・・・)
俺は心の中でその言葉を反復するうちに妙な興奮を覚えた。
(昨日までなら姉貴の下着なんか興味なかったよな。家族の衣服だもんな)
至極当然な感想。でもその後がよろしくない。
(どんな下着なんだろう・・・)
嗚呼、俺、変態さん当確。否、当選オメ。違うって俺、おめでとうじゃないってば。
半ば呆れ気味に自分自身に突っ込みを入れてみる。
(でも、姉貴の奴、全然驚いた気配が無かったよな。恥じらうって気持ちがないのかね?)
下着という言葉に興奮する俺と対照的にあまりにも冷静だった姉貴。
(ま、まさか・・・)
「下着を落としたのって、俺が見ているのを知っていた上でやったんですか?計算してたんですか?」
俺はまた独りソファーの上でそう呟いていた。
(長い・・・)
女(姉貴)の風呂っていうのはどうしてこんなに長いのだろうか。姉貴が風呂場に消えてから15分以上が経っていた。
「風呂長すぎ、どこ洗ってるんだ、姉貴の奴」
そう言うと俺は姉貴のスタイルを想像してみた。
「シャワー浴びるだけだろ?背だってちまっこいし、あれじゃ胸だってないだろう?時間掛かって洗うところなんかあるのか?」
(そうだよな、胸ないよな・・・)
背が低いことは外見上家族の俺にも明らか。だけど当たり前のことだが、姉弟だからって胸なんか見たことはない。
(胸・・・乳・・・)
言葉の一つひとつに対して妙に興奮する俺。
(姉貴つるぺた・・・萌え・・・)
い、いや、つるぺたじゃ萌えない。つーか普通そんなこと誰も想像しない。
(病気進行中か?ますます深みにはまりそうだな・・・)
尽きない妄想に頭を悩ます俺。でも心の中にどこか楽しそうなもう1人の俺がいる。
がちゃっ。不意に風呂場のドアが開かれる音が聞こえた。
(姉貴、やっと風呂から上がってくれたな。これなら時間的にも間に合いそうだ)
俺はリビングに掛けられている時計を見て時刻を確認した。
(・・・おや?)
何かおかしい。風呂から上がったのなら水が流れる音はしないはずだ。だが未だに水の流れる音が聞こえる。
(姉貴、蛇口を閉め忘れたのか?)
相手(姉貴)に対して失礼な疑問を抱いてみる。その時だった。
「ちょっといい?」
風呂場から姉貴の声が聞こえた。
「そこにいるんでしょ?こっちに来てくれない?」
風呂場から姉貴のお誘いの声。
「はあ?」
ことの成り行きを理解できず生半可な返事をしてしまう俺。
(風呂に・・・来い・・・?風呂に・・・!!!)
反復してみる。そして俺なりの結論。
(キ、キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!お風呂イベント発生!!)
俺の脳内、姉貴入浴シーン独り実況スレ状態。って言うか俺の独占。
他の香具師にはROMすらさせない(だって脳内だから当たり前)。
可憐ちゃん(姉貴)、いつからエロ担当になったんですか!?
最早二次元と三次元の区別も付かなくなってきた末期症状な俺。
更に姉貴からの甘いお言葉。
「ねえ、早く来てよ・・・」
「は、はいっ。た、ただいま」
俺は思わず声が上擦ってしまい、そしてどもってしまった。
そして俺はソファーから飛び降りると風呂場へと向かった。
コンコン。風呂場の戸をノックする俺。
「あ、来てくれたんだ。大丈夫だから入って」
姉貴の声が直ぐ傍で聞こえる。数メートル離れた先に姉貴が・・・
「はっ、はい。失礼します」
俺は緊張のあまりバイトの面接宜しく会釈をして戸を開けた。
風呂場は浴場と洗面所を兼ねた脱衣所の構造になっており、そこには洗濯機が置かれている。
そして歩みを進めると浴場との仕切となっている曇硝子の入ったドアの前に立った。
(このドアの向こうに姉貴が・・・)
頭クラクラ、心臓バクバク、何だか息が詰まりそうだ。
(今の俺、心電図取ったら凄いことになるだろうな・・・)
ちょっと気分を落ち着けるために余計なことを考えてみた。
「今日は素直に言うことを聞くのね。それじゃ、お願いしたいことがあるんだけど良いかな?」
姉貴の「お願い」の一言で更に俺の妄想度がアップしていた。
(お願い?そりゃもう何でもしますよ、「はい、喜んでっ!!」って感じですよ)
でもそう素直に答えると馬鹿っぽく思われて顎で使われそう。それも癪にさわるから少し抵抗する。
「俺だって忙しいんだ。なっちゃん、何の用だよ」
素直になれない俺。未だ子供なんだよ。うん。そう自己弁護してみる。
「素直に来たと思ったのに、また憎まれ口?いいわ、それよりボディソープを取ってきてくれない?」
「・・・ほへっ?」
気の抜けた返事をしてしまう俺。
「聞こえなかったの?ボディソープが切れちゃったからリビングに置いてある買い置きを持ってきてって言ってるの」
浴場のエコーが少しかかった状態で姉貴の毒が聞こえる。
(お背中を流して欲しいとか・・・違いましたか・・・・・・?)
などという質問は間違ってもできない。姉貴に何を言われるのか分からない。
「分かったの?早くしなさい」
(多分)裸姿の姉貴が硝子の向こうで毒を吐く。
「分かったよ。静かにしろよ」
俺はボディソープを取りに振り返えろうとしていた。ぼこっ。俺の左手が金属製の何かに当たった。
「うん?洗濯機か・・・」
「洗濯機か・・・洗濯機、洗濯機・・・」
俺はまだ風呂場から出ずに呟いていた。
「洗濯機とは・・・洗濯をするための機械・・・そして洗濯とは汚れた衣服などを洗ってきれいにすること・・・」
きゅぴーん。俺の脳内で何かが閃いた。
(洗濯機、汚れ物、風呂、姉貴・・・も、もしかして・・・い、いや、こ、これは、確実に・・・・・・)
「はあ・・・」
俺は一息ついて心を落ち着かせると一気に気持ち(妄想)を昇華させた。
(キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!姉貴の生下着!!)
更に俺の脳内に大量に分泌される脳内麻薬。
(有名アイドル声優の脱ぎたて生下着!!その温もりに思わず俺もうっとり・・・)
無意識のうちに俺の手が洗濯機へと伸びてしまう。
(もうすぐ可憐(妹キャラでも姉貴)の、浦島可奈子(妹キャラでも姉貴)の、工藤卑弥呼(やっぱり妹キャラでも姉貴)の恥ずかしい下着がぁぁぁぁぁ・・・)
「ちょっと、洗濯機の前で何やってるのよっ!早く取ってきなさいよ。遅れちゃうでしょ!!」
(はうっ!!)
俺は洗濯機の蓋に手をかけたところだった。急に現実に引き戻される俺。
(い、今のは危なかった、かなりやばかった・・・)
失いかけていた(実は殆ど失っていた)理性を取り戻すと俺は自分を恥じた。
(俺は姉貴に対して何をやってるんだ・・・)
反省しきりの俺だったが、いつまでも風呂場に居る俺に姉貴が疑いをかけてきた。
「あんた、洗濯機の前で何してたの?まさか、あたしの下着とか物色してたんじゃないでしょうね?」
(ビ、ビンゴ!流石、姉貴!!よくお見通しで・・・ってこれも言えない)
「そ、そんなことするわけないだろ。今日行く店のこととか考えてたんだよっ」
俺は目一杯の虚勢を張ってみる。
「お風呂場で?ふーん・・・それよりボディソープ、お願いね」
「は、はい・・・よろこんで・・・」
エロガッパ、変態呼ばわりの激しい突っ込みがあるかと思いきや意外な姉貴の反応。
(よかった、今度こそバレてないぞ、俺の痴態)
安堵する俺。
「じゃ、じゃあ、取ってくるから」
そう言って風呂場をあとにした。
「お願いね」
扉の向こうからそう姉貴の声が小さく聞こえた。
(あの時、もし俺が下着を盗っていたらどうなっただろう・・・俺と姉貴は姉弟でいられたのかな・・・)
俺は廊下を歩きながら考えていた。
(あの時、姉貴が声をかけてくれなかったら、俺は素直に姉貴の誕生日を祝ってやることが出来たのか・・・)
普段は短いと思っていた廊下が、今の俺にはひどく長く感じられた。
洗剤やら石鹸やらの買い置きがある場所からボディソープを見つけると俺はまた姉貴のいる風呂場に向かった。
(誕生日の姉貴に風邪をひかせちゃ拙いしな。それにしても、遅いって怒ってるんだろうな)
姉貴の怒る姿を想像する俺。何だか怒った姉貴の姿も可愛らしく思えてきた。
(でも・・・下着・・・やっぱ惜しかったよな・・・・・・)
俺の心の奥底にはそう思ってしまうもう1人の自分がいた。
俺的豆知識:窃盗罪(刑法第235条)では、親族間の窃盗についてその刑を免除することとされている(同第244条第1項)。
免除されても罪は罪。大きなお兄ちゃん達、お互い気を付けような(・・・って、犯罪者予備軍は俺だよ、俺・・・とほほ)。
俺は風呂場のドアの前に立っていた。右手にボディーソープを握り締め。
ごく・・・俺は唾を飲み込むとドアをノックしようとした。
「あれ?もう取ってきてくれたの。悪いわね、入って」
まるで見透かしているかのような姉貴の発言にドキッとさせられる。
(姉貴、あなた様はエスパーですか?)
「それじゃ、入るぞ」
俺はドアを静かに開けるとまた曇硝子の前にいた。
(こ、この奥に、奥にぃぃぃー)
いけない、また俺の脳内物質が溢れ出してきた。
(駄目だ。落ち着け、落ち着けよ。紳士な俺)
何とか気分を落ち着かせると硝子の向こうにいる姉貴に話しかけた。
「ほら、ボディソープ持ってきたぜ。ここに置いておくからな」
そう言って置こうとした時だった。
「あ、ちょっと待って。今開けるから、こっちに頂戴」
「ああ、分かっ・・・」
(え?え?ええー?今、何ですと?開けるですと?)
きっ、きっ、きたーっ!!遂に一線を越えるときがキター!!
俺は姉貴のためなら全てを捨てる覚悟があるぜっ。
(ところで姉貴はどんな格好なんだ・・・)
邪で淫らな想像が働く俺。こういう時だけ俺の脳はよく働くのだ。
(ぜ、全裸で待機・・・く、くぅーっ)
「ねえ、まだなの・・・」
しまった、姫(姉貴)からのお強請り(催促)の声だ。
何だか今日の姉貴の声はいつもより3倍エロく感じるぜ。
(神様、今日という日をありがとう・・・)
俺はそう心に思うと男らしく覚悟を決めて硝子戸を開けた。
「ごめんな、なっちゃん。お待たせ・・・」
俺は世界一の幸せ者だ。そう思った矢先の事だった。
(つづく)