初めて会ったときから、彼女のことは何となく苦手に思った。
・・・なぜだろう?
たぶん、彼女は私が持っていない全てを持っていたから。
可愛らしい仕草、澄んだ綺麗な声・・・
・・・女の子なら、求めて止まないもの。
はっきり言って、そんなのは私に似合わないのは判っている。
でも・・・
でも、女の子なら誰しも憧れる「ヒロイン」の立場。
強いて言えば、彼女はまさに、そんな存在だった。
彼女は私にとって、眩しすぎたのだと思う。
・・・だから私は彼女に憧れて、そして嫉妬していた。
そう・・・あの日の夜までは・・・
日中の活気が、嘘のように静まり返り、満天の星の下、リーフに寄せる波の音だけが辺りを包みこむ。
海の上を渡る風は、部屋の中にまで涼気をもたらし、遠く極東アジアの島国から来た異邦の民たちも、エアコンを切り、その風を楽しんでいた。
このようなビーチリゾートの夜としては、最高の条件にも係わらず、その部屋には苦悩する女性が一人。
由「はぁ、なんで彼女と同じ部屋なんだろう?」
呟くような声でそう言うと、溜息をもらしつつ、由美子はキングサイズのベッドの上に倒れこんだ。
バルコニーを望む窓際で、風に当たり涼んでいた奈々が由美子に声をかける。
奈「あら、由美子ちゃん、何か言った?」
由「ううん、なんでもないよー」
ベッドの上に大の字で仰向けになっていた由美子は、顔だけを奈々へ向け、そう答えた。
「あら、そう」と呟くと、奈々は再び、海を渡る風に身を任せた。
再び天井を仰ぎ見て、小さく溜息をついた由美子は、何かを思い出したようで、顔を奈々に向けてこう訊ねた。
由由「奈々ちゃん、夜風に長くあたっていると、体に毒じゃないのかい?」
奈々は、少し意外そうな顔して、由美子を見やるとこう答えた。
奈「ええ、そうね。でも、由美子ちゃん、私は由美子ちゃんよりは厚着をしているわよ」
そう言われて、由美子は奈々を繁々と眺めた。
奈々は、白いオフショルダーのニットとキャミソールの重ね着で、麻地のロングスカートをはいていた。
由美子はといえば、黒のショートパンツにTシャツという、男の子のような格好。
あまりにも色気の無い自分の姿に恥ずかしくなった彼女は、奈々に背を向けるような形で、寝返りを打った。
奈「でも、由美子ちゃんの言うとおりね」
そう呟き、奈々は優雅に立ち上がると、バルコニーから部屋の中に入り、後ろ手でガラス戸を閉める。
ただ全部は閉じず、気持ち開けているのであろうか、時折思い出したように、レースのカーテンが揺らめいていた。
奈々は部屋に入ると、右手の人差し指を口元に当て、しばらく考えるようなポーズをとり、何かを思い出しように冷蔵庫を開け、小さな声で「あった、あった」と呟く。
そして相変わらず、奈々に背を向けてベッドに寝転んでいる由美子に、ゆっくりと近づいた。
そのとき由美子は、物思いに耽ていた。
由(なんで、奈々ちゃんと同じ部屋に、なったんだろう?)
由(彼女、嫌いじゃないんだけど、何か苦手なんだよね。)
由(どうしてかな?)
由(彼女のあの格好、すごく女の子っぽいよなー。)
由(それに比べて、私ときたら・・・。)
由(こんな格好、男と一緒だよ。男と。)
由(・・・やめ、やめ。なんだか虚しくなってきた。)
由(そう言えば、なっちゃんともっちー、本当に仲が良いよな。)
由(夕食の後、みんなで遊ぼうと思っていたのに・・・。)
由(そしたら二人であっと言う間にいなくなっちゃうし。)
由(全く、なんだよあの二人。レズかっつーの。)
由(なんてね、そんなことある訳ないか・・・。)
奈「・・・子ちゃん」
奈「・・美子ちゃん」
奈「もう、由美子ちゃんってば!!」
由「うわーっ!?な、何?」
一気に現実に引き戻された由美子は、思わず絶叫して飛び起きる。
由美子の目の前には、目を真ん丸にして立ち竦んでいる奈々の姿があった。
奈「ななな、なに、何、由美子ちゃん?」
由「あ、いや、大きな声を出してごめん奈々ちゃん。ちょっと、考え事していたから」
奈「そうだったの・・・。ううん、いいの由美子ちゃん。私の方こそ、いきなり声をかけてごめんなさい」
由「あー、本当にごめん。・・・ところでなんだい?奈々ちゃん」
奈「ええと、由美子ちゃん、喉渇いていない?」
由「そう言われると、喉渇いているかも。今、大声を出したところだし」
奈「ふふっ・・・、そう思って、ほら、これを一緒に飲まない?」
由「あれー、それどうしたの?」
奈々が由美子に見せたのは、サーモンピンクが目に鮮やかな、シャンパンのボトルであった。
奈「ホテルに着いたとき『ウェルカムドリンクです』って、私たち四人にもらったんだけど・・・」
奈「さっき、なっちゃんに聞いたら、彼女はいらないって言うし・・・」
奈「もっちーは、ちょっと欲しそうな雰囲気だったけど、なっちゃんがいらないなら、私もいいっていうから。」
由「なっちゃんは、お酒は苦手だからね」
由「でも、もっちーも飲めないのかね?」
奈「それはちょっと分からないわね」
由「しかし、うわー、そう言うの高いじゃないの?『どんぺり』とかって言うのがあるじゃん」
奈「うーん、さすがにドン・ペリじゃないと思うけど・・・。」
奈々はそう言い、しばらく瓶とにらめっこをすると、小さく「あ・・・」と呟いた。
奈「もしかしたら、ドンペリよりも、良いものを貰ったかもしれないわ」
由「へー、そうなんだ」
由美子はあまり興味なさそうに相槌を打つ。
そのシャンパンはルイ・ロデレール社のクリスタル・ロゼ。ロシア皇帝アレキサンドル2世が、専用に作らせた歴史を持つ逸品で、味もさることながら、名の由来となったクリスタル製の瓶が特徴的だ。
今回用意されたのは、ロゼのシャンパンで、透明のクリスタルボトルの中に、サーモンピンクの液体が美しく輝いている。
思わず見惚れている奈々に向かって、由美子は急かすために声をかけた。
由「ねえねえ、奈々ちゃん。何でも良いから早く飲もうよ!」
奈「え・・・あ、ええ、そっそうね。冷たいうちに頂きましょう」
我に返った奈々は、瓶をそっとテーブルの上に置くと、グラスとワインクーラーを棚から取り出した。
奈「じゃあ、開けるわね」
奈々がボトルを自らの方へ引き寄せて開けようとすると、好奇心で瞳を輝かせていた
由美子が、すかさず声を掛けた。
由「奈々ちゃん、奈々ちゃん。私に開けさせてもらえるかな?」
奈「え!? うん、もちろんいいわよ。はい、じゃあ由美子ちゃんお願いね」
由「よーし、じゃあ開けるよ」
とそこまでは良かったが、ボトルを受け取ったところで、彼女は固まってしまった。
奈々は、ボトルと睨めっこしたまま動かない由美子を不思議に思い、声を掛ける。
奈「由美子ちゃん・・・どうしたの?」
由「・・・あ、あははっ、ごめん、奈々ちゃん。開け方がわかんないや・・・」
由美子は恥ずかしそうに、頭に手を当てながら言った。
奈々は、一瞬キョトンとした顔をした後、クスクスと笑い出す。
奈「うふふふっ・・・、やだ由美子ちゃんたら、可笑しい」
そう言って、尚も笑っている奈々を見て、由美子は恥ずかしさで頬を赤らめつつ、
もじもじしながら呟く。
由「奈々ちゃん、そんなに笑わなくてもいいじゃない・・・」
由「・・・私、あんまりこういうの慣れてないから・・・」
奈々はその様子を見て、由美子に悪いとは思いつつも、なかなか笑いが収まらなかった。
奈「ふふふっ・・・由美子ちゃん、笑ったりしてご免なさい。ふふふっ・・・」
由「もう、奈々ちゃんてば、まだ笑ってる」
と言って、由美子はプイと横を向いて膨れ面をした。
奈「あ・・・、由美子ちゃん、本当に御免なさい。・・・怒ってる?」
由「別に怒ってなんかいないよ」
と由美子は少し拗ねたように、横を向いたまま答えた。
奈々も由美子を傷つけてしまったことを悔いて、うつむいてしまう。
しばらく沈黙が続いた後、奈々は何か思いついたのか、顔を上げて由美子に話かけた。
奈「由美子ちゃん、私が教えるから開けてもらえるかしら?」
由「え・・・、奈々ちゃん・・・教えてくれるの?」
由美子は正面に向き直り、子供のように目を輝かせて身を乗り出して聞いた。
その様子を見て、奈々は心の中で、ホッと安堵の溜息をもらしつつ、笑顔を見せ「もちろんよ」と答える。
由「・・・あははっ、ごめんね奈々ちゃん、つまんない事で怒ったりして」
奈「ううん、私こそ笑ったりして御免なさい」
由「違うよ、開け方も知らないのに『私が開ける』なんて言った、私が悪いんだよ」
奈「そんな事無いわよ、私の方が悪いのよ」
由「・・・」
奈「・・・」
由「・・・プッ、あはははっ」
奈「・・・ふふふふふっ」
由「はははっ・・・、何やってんだろうね私ら」
奈「ふふふっ、本当ね」
由「さあ、早く開けないと、折角のシャンパンがぬるくなっちゃうよ」
奈「そうよね。じゃあ由美子ちゃん、私の指導は厳しいわよ」
由「おーし、お手柔らかに頼みますよ」
お互いに笑顔を見せ合った後、奈々の指導の下、由美子によるシャンパンの栓抜きが始まった。
奈「じゃあ、由美子ちゃん、いい?」
由「よし、準備万端だよ」
奈「まず、ボトルの口のシールを剥がします」
由「よっ・・・と。あれ、この針金の部分が邪魔で全部剥がせないな」
奈「あっ、そのコルクを押さえている留め輪の部分が見えれば、もういいのよ」
由「そうなんだ。じゃあ、次は何をすればいいのかな?」
奈「その留め輪の針金を、逆方向に回して緩めます」
由「えーと・・・こっち側に回してと。あ、針金が瓶から外れた」
ここで奈々は、栓を抜くのに使う布を用意していないことに気が付いた。
「ちょっと待っててね」と由美子に言い、バスルームの洗面台に向かう。
整然と置かれている2つハンドタオルのうち一つを取ったとき、部屋か
ら由美子が声を掛けてきた。
由「わっ、わっ、奈々ちゃん、すごいすごい!」
奈「えー、なーに?由美子ちゃん、どうしたの?」
由「栓がどんどん浮き上がってきたよ」
奈々はハッとっした。
開けるときの手順において、留め具を外した後は、ガス圧によって自然に
飛び出す場合がある。
それを防ぐため、コルクを手で押さえていなければならないのだが、それ
を由美子に伝えておくのを忘れていたのであった。
奈「ゆ、由美子ちゃん!は、早く栓を手で押さえて!」
そう叫ぶと、慌ててバスルームからリビングに戻る。
だがその刹那、「ポンッ!」と軽快な音を発し、コルクが由美子のおでこ
を経由して、天井に到達した後、テーブルの上に見事着地する。ボトルか
らは、シュワシュワと中身が吹き上がり、コルクの無事な生還を祝うかの
ようである。
リビングに戻った奈々が見たのは、そんな光景だった。
由「ぐあ・・・、あ痛たたた・・・」
奈「ゆ、由美子ちゃん、大丈夫!?」
お約束のように、コルクをおでこに当てた由美子は、激突の痛みで
思わずうずくまってしまう。
由(あーあ、またやっちゃた・・・)
由(本当、格好悪いよな、私って・・・)
由(また彼女に笑われちゃうよ・・・)
由美子は内心で、自分のドジぶりに舌打ちをしつつ、
この場は笑って誤魔化すことにした。
由「あー、痛かったー。」
由「また失敗しちゃったね、あははははっ・・・」
そう言って顔を上げた彼女は、奈々を見てギョッとした。
由美子は、てっきり先ほどのように、彼女が笑いを堪えているものと思っていた。
ところが彼女は、青ざめた顔をして、今にも泣き出さんばかりであったからだ。
由「な、奈々ちゃん! どうしたの!?」
由「も、もしかして、栓が当たったとか!?」
由美子は、コルクが奈々に当たったようには思えなかった。
しかし自分自身は、当たったときの衝撃で、コルクの弾道など追っている余裕など
なかったので、「もしかしたら」という気持ちを拭いきれずにいた。
慌てて由美子が奈々の傍に行こうとする、しかし先に奈々の方が駆け寄って来た。
そして彼女は、由美子の前でへたり込むと、涙声でこう言うのであった。
奈「由美子ちゃん・・・ごめんね、ごめんね」
奈「私がちゃんと言わなかったから・・・」
奈「由美子ちゃんに怪我させるなんて、私、わたし・・・」
由「ちょ、ちょっと奈々ちゃん、わ、私は全然平気だよ」
由「見て、別に血が出ているわけじゃないし、ほらっ・・・あ痛たたた・・・」
奈「ゆ、由美子ちゃん!!」
由「・・・あはははっ、莫迦だねよね私って」
由「でも本当、大丈夫だからさ奈々ちゃん、もう元気をだして」
奈「・・・う、うん」
由美子はしゃがむと、へたり込んでいる奈々の手を取った。そして彼女を安心させようと、
おでこを叩いて見せたのは良かったが、勢い余って強く叩き過ぎてしまったのであった。
その姿を見て、奈々は安心したのか指で涙を拭うと、少し笑顔になった。だが、やはりコ
ルクの当たった由美子のおでこが心配なのか、顔を近付け「本当に大丈夫なの?」と言っ
て優しく触れた。
奈々の顔が急に近付いて来たうえ、さらにおでこまでふれられて、由美子はドギマギした。
由(わ、え、えっ?なに、何?一体何が起きてるんだ?)
由(奈々ちゃんって、やっぱりキレイだよなー)
由(私なんかが顔を近付けても誰も緊張しないよね・・・って、そうじゃなくて・・・)
由(奈々ちゃんは、女の子なんだよ)
由(なんで私、こんなにドキドキしてるんだろう?)
由(わ、わ、奈々ちゃんの吐息が私の顔にかかってる。私、もう・・・)
由美子は照れくささの頂点に達し、照れ笑いをしながら、座ったままズルズルと後退した。
由「ななな、奈々ちゃん、本当に私は大丈夫だから。あははっ、あははっ・・・」
その行動に、奈々は少し驚いて、小首を傾げて不思議そうな顔をしている。
しかし、再び「大丈夫?」と由美子に言い、彼女がコクコクと頭を上下に振って肯定すると、
安心したのか「本当に良かった」と呟き笑顔になった。